何故ゲームやアプリにキレてしまうのか
・パソコンで何かしていると思ったら、突然画面に向かって大声で怒鳴り始めた
・アプリの使い方や、問題の解決法が分からず、イライラしてスマホを床に叩きつけた
・ゲームで思い通りの結果が得られず、イライラしてコントローラを破壊した
今回はこんな感じに、ゲームやパソコンが上手い人や、何故ゲームやパソコンなどにキレてしまうのか、についてのお話です。
今回触れるゲームというのは、いわゆる“コンピュータゲーム”のことを指します。
スマホゲーム、家庭用ゲーム、携帯ゲームあたりの、プログラミングによって作られたゲームのこと。
ボードゲームや、カードゲームにも通ずるものがあるかも知れませんが、こちらを期待していた方はごめんなさい。
これらは先天的なものではない
ゲームやパソコンが得意な人、キレやすい人。
まずはじめに、これらは先天的な性格や能力などで決まるものではありません。
キレやすい、苛立ちやすいといった症状は、全て改善することが可能です。
その理由なども含めて、詳しく解説します。
プログラムという“世界”の性質
プログラムは、プログラマーの命令だけに従う
この世のすべてのアプリ、プログラムは、これらを作ったプログラマーの命令だけに従って動作しています。
決してユーザーの要求に従っているわけではありません。ここすごく大事。
例えば、Googleで検索する時は
入力されたキーワードを含むページを表示しろ。という命令コードが実行される
アクションゲームの場合
ジャンプボタンが押された時、ジャンプしろという命令コードが実行される
といった具合に、ユーザーの入力に対して即座に応じられるような命令が組まれています。
この命令は絶対である
この命令は、ユーザーには変えることのできない、絶対のルールです。
プログラムというのは、プログラマーが作り出した“世界”そのもの。この“世界”の理はプログラマーが握っており、ユーザーが干渉することはできません。
命令を変える方法は、プログラマーによるアップデートただ一つ。
そして、この“世界”の中では、従うことを強制させられたルールからは絶対にはみ出すことができないので、ユーザーはその範囲内で行動するしかありません。
ゲームが上手い人の性質
ゲームが上手な人というのは、この絶対的なルールや命令を利用して成果を出す方法を本質的に理解し、無意識、あるいは意識的に実践している人のこと。
例えば、ある操作を組み合わせることにより、特殊なムーブになることを利用して、戦局を有利に運ぶテクニックを編み出すなど。
最近のゲームではあまり見かけなくなりましたが、いわゆる裏ワザやバグ技などを利用した抜け道なども、これに含まれます。
ゲームが得意な人=プログラムの言いなりになれる人
繰り返しになりますが、プログラマーの作った“世界”の中では、その絶対のルールには必ず従わなければなりません。
突き詰めると、「プログラムの言いなり」になれる人が、ゲームやパソコンが得意な人
逆に、「プログラムを言いなり」にさせてやろうという意識が強いほどうまくいかず、ゲームやパソコンに対してイラ立ちやすく、キレやすくなる
プログラムの言いなりになれる人、つまり、プログラマーが作った絶対のルールに従うという行為に割り切って臨める人のことです。
何かトラブルが起こった時、相手が人であれば、相手の認識を改めさせるか、自分が引き下がるかすれば話は丸く収まります。
しかし、コンピュータが相手の場合、相手の認識を改めさせるという方法は使えません。自分の認識を改めない限り、前には進めません。
ここが人とコンピュータの最大の相違点であり、得意か不得意かは、これを理解できているかどうかで決まります。
これは、先天的な性格とかで決まるものではなく、様々な学習だったり、プログラムに触れていくことで培われていく思考や忍耐力によるものです。
普段から人の言いなりになることは、殊勝な心がけとは言えません。
当然これは、間違った弁論に従ったり、人に支配されたりするリスクがあるからです。
人の言いなりにはならないけど、プログラムや、コンピュータに対しては「言いなり」になれるのが重要で、あくまで、切り替えができる技術が必要であるって話です。
プログラミングのすすめ
プログラミングをある程度経験しておくと、「ああ、これはああいう命令が組まれてるんだな」と仕組みが想像できるようになり、理解が早くなります。
仕組みを知るということは非常に大事なことです。
どういう原理で動いているのか、また、どのようなプログラムが組まれているのかを大まかでいいので知るということは、それによって作られた全てのアプリ、ソフトに対して理解が深まる、強くなる、得意になる。ということになるからです。
そういった意味でも、プログラミング学習というのはおすすめです。
ゲーム(プログラム)に触れることも重要な学習
色んなゲームをやり込んで極めていくと、段々とゲーム全てに共通した分析方法と、攻略の方程式が身についていきます。
「なるほどこういうゲームか。じゃあこうすればいいな」といった、いわゆるプログラミング的思考。
ゲーム経験の長い人が、初見のゲームでもそれなりにできたり、理解が早いのはこのためです。
ゲームが得意な人は運転も得意?
運転や操縦というのは、その乗り物の仕組みを理解し、必要に応じて要求される操作を実行できるかどうか。
つまり、これも突き詰めれば乗り物の「言いなり」になること。
何を馬鹿なことを。と思った方もいるかもしれません。でも
ハンドルをこれくらい切ったらこれくらい曲がる。
アクセル、ブレーキをこれくらい踏み込めば、このくらい加減速する。
といった車の性能は、改造でもしない限り決まっています。そういったものには従うというか、順応するしかありません。運転をしてる以上、無意識に従っています。
『ゲームが得意な人は運転も得意』という論を見かけたりしますが、これが当たってるとするならば、その理由はここにあると思います。
ちなみに『運転が上手な人』とは、歩行者の保護や、公道の秩序に気を配った安全運転ができている人だということを付け加えておきます。念のため。
この社会でも、従わなければならないルールは多数存在するが
この社会でも、こういったルールに遭遇する場面は少なくありません。
詐欺や泥棒をすれば当然、罪となります。
こういったルールを守ることは、社会秩序を守る上で大切なのは当然のことです。
一方で
「この法律、慣例はどう考えてもおかしい」
「時代に合ってない。改正すべきだ」
というように、ルール自体を変えてしまえ。という考えや運動だってあります。
・従うことを強制されたルール
・変えることのできる、その可能性のあるルール
・こういうことをしてね、やめてね、という要請
あなたは、実際にそんなルールに直面した時、どのような考えを持ち、どのような行動を取りますか。
終わりに
ちょっと脱線しちゃいましたが、以上となります。
話を戻して、ゲームやパソコン、電子機器に対してイラ立ったりするという方は、この辺りに意識を向ければ、努力や忍耐によって改善することができます。
自覚がある方は、試してみてはいかがでしょうか。
それでは、また。