フリースクールで失敗した話

どうしてこうなった

 

 今回は、私が小学5年生くらいの頃に、フリースクールで大失敗した話をご紹介します。

 

 あらかじめ断っておきますが、世の中のフリースクールへの当て付けだったり、評価を下げることを目的とした記事ではありません。

 どちらかというと、私と母親の間抜けな失敗談ですね。

 

 ただまあ、小学生のうちだと、ひょっとしたらありがちかもしれないと思い、体験談を公開することにしました。

 当時はこういった出来事もとりとめもないことだという認識だったせいか、記憶がかなり薄れているので思い出しながら綴っていきます。

 

それではいってみよう!

 

 

1年弱通っていたフリースクール

 

 当時私が通っていた施設があります。

 当時はまだ今ほど不登校が多くない時期で、フリースクールという単語があったかどうか定かではありませんが、便宜上ここではこの施設のことをフリースクールと呼ぶことにします。

 

 大まかな流れについて記すと

 

小2で不登校に

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小5でも不登校が続いていたので、母親と一緒に市役所の児童支援かなんかの課に相談

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紹介されたフリースクールに赴き、入会を決める

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フリースクールでもほぼ孤独な状態となり、母親も効果がないと悟ったのか、退会

 

 最終的にはフリースクールでもほぼ孤独な状態となり、勉強もほとんど手付かずで楽しさをほとんど感じず、家で引きこもるのと全然変わらない状態になっていました。

 

 どうしてこうなった状態ですが、一つずつ触れていこうと思います。

 

 

不登校になって

 

 正直な話、小2~小4の普段の生活の記憶はほとんどありません。ホントに何やって過ごしていたのか謎です。まあ大体テレビ視聴と、テレビゲームやってたと思います。ファミコンとスーファミ。任天堂っ子。

 

 市役所に相談しに行くことになった経緯は今でもわかりません。

 一つ言えるのは、当時の私はとても素直で、母親が言うことにはほぼ従っていたことでしょうか。一緒に市役所に行くことになったのもそのためでしょう。

 

 

市役所で相談

 

 そんなわけで市役所までやってきたのだった。

 

 児童支援課だったか、正式名称は忘れましたが、その時に担当してくれた職員さんはとても優しくて良くしてくれた方であり、フリースクールに入った後もたびたびテニスや野球で一緒に遊んだりしてくれました。今でも名前と顔をはっきりと覚えています。感謝しますUさん。

 

 児童支援ということで、おもちゃが山ほどある狭い部屋で何度か職員さんと母親が何やら会話してたのは覚えています。

 会話の内容はまったく理解できませんでしたが、その時のおもちゃの面白さは今でも鮮明に覚えています。

 なんか高速で走るバイクのレースゲーム。電灯で映し出された高速で迫り来る障害物のシルエットを、二つの車線を使って左右にうまく避け続けるゲームだったかな。

 こういうゲームの記憶はちゃんと覚えているあたり、生粋のゲーマーなんだなあと実感しますね。

 

 おもちゃの名前がどうしても出ないせいで検索ができずにモヤモヤします。別のおもちゃの名前が浮かぶ。ダイナミックダービーとか。

※ベット、払い戻し機能がしっかりと搭載されている1990年代の電動競馬ギャンブルおもちゃ。なんてダイナミック。

 

フリースクール覗き見。そして入会

 

 で、フリースクールまでやってきて担当者に施設の案内をされたのですが、口で説明されても理解できないし、休館日で閑散としていたせいか当時の私にとってはまったく魅力を感じませんでしたね。

『うわぁ…何ここ…』というのが第一印象です。

 

 それでも結局入会。理由は先に述べた通りで、私がこれ以上ないくらいに素直だったからでしょう。

母親「ここ通ってみる?」
ぼく「うん」

 

 参 戦 決 定 ドン! ドン! ドン! ズォン!

 

 そうして平日はフリースクールに通うことになりました。

 

 

最大の失敗

 

 ところが入ってすぐに最大の失敗に気づきます。

 

 といっても、当時の私にはそれが失敗だと分からないので、例によってなんとも思いませんでしたが、後になって考えてみると相当でかい失敗でした。

 

その失敗というのは、小学生が私一人しかいなかったことです。

 

 そこは小、中学生向けの施設だったらしいのですが、私の他に5、6人いたメンバーは全員中学生。接点は一応ありましたが、仲がいいとはお世辞にも言えず。

 

 みんなで簡易的な野球したりサッカーしたりと、一緒に遊ぶ時間はありましたが、まともに会話らしい会話をした記憶は一切ありません。

 一応向こうから話しかけてくることもありましたが、私自身が無口だったこともあり、やはりというか孤独な状態が続き退会へと至ります。

 

 そこでの勉強については、一応あるけど強制はまったくなし、各々自由にやっていいっていう形式だったかな。

 それで、中学生のみんなが勉強してる時、私はというとパソコン室で遊べるPCゲームをずっと遊んでました。

 ここでもゲーマーの才能を余す所なく発揮します。

 

 強制なし、自由にできる。というのが災いしたのか、自由にPCゲームやりまくってました。

 

 ここの先生は一人か二人くらいで、あとは大学生のボランティアらしき人たちがたまにやってる感じだったと記憶しています。

 先生から教わった記憶もほとんどありません。まあ、日のよってはみんなが外で遊んでる中、一人だけPCゲームに夢中だったりしたので『相当やりにくい子だな』と思われていたことは想像に難くないですね。

 

 そしてやっぱり、先生から言われたことよりも、PCゲームの内容と攻略法とかの方が鮮明に思い出せます。もうこのクソガキ、何のためにフリースクールに入会したのかわかんねーな。

 

 

イベントもあったものの

 

 一度だけ、キャンプ場にキャンプしに行く大きなイベントがあったと記憶してます。

 

 ここで朝礼かなんかの行事の司会をやることになり、ただ一人の小学生だったということもあってか、ボランティアの女子大生がマンツーマンで色々優しく教えてくれるがままに司会進行を務めました。

 例の如く、感受性が低かった私は特に何も感じず、指示通りに淡々と、~お願いします。と進行させていました。善逸にメチャクチャ怒られそう。

 

 他のことは記憶にございません。

 なんだかんだこの場面だけは覚えているあたり、小学生といえどやっぱり男として思うところがあったんだなと思う次第です。

 

 

あえなく退会

 

 結局、孤独な状態は改善することなく、退会となりました。

 振り返ってみると、このフリースクールに通ってよかったことが一つも思いつかない残念な結果となりました。

 

 元はと言えば私と母親の間抜けな失敗であり、同年代の子がいるかどうかちゃんと確認してから入ることと、入ってからでも実情はどうなのか、みんなと楽しくやれているか、ちゃんと情報共有をしなかったのが原因なわけですが、結果的には1年弱もの貴重な時間を無駄にすることになりました。

 私も母親も『市役所から紹介された所だから間違いないかな』という考えが強すぎたところがあったかもしれません。

 

 

教訓

 

・フリースクールに入る前に、仲良くできそうな同年代の子がいるかどうか、自分の目で確かめよう
・つまらなかったら「つまんなかったからやめたい」と親に伝えよう
・できる限り親と協力して、一番いい環境を探す努力をしよう

 

 ただ、小学生の場合は自分で判断するというのは結構難しいですね。

 色んなことを考えて自分で判断できたとしてもそれを口にできるかどうか、そしてそれが思ったとおりに伝わるかどうか、など、壁はとても高い。

 小学生の不登校は、深刻で深淵な問題だなと改めて実感しますね。

 

 

 繰り返しますが『世の中のフリースクールなんて通うな』と言っているわけではありません。

 ただ、つまらないところ、自分に合わない所に通い続けるくらいなら『もうやめたい』と直訴して、他のところに通うなり、別の道を探すなりした方がまだいいでしょう。

 

 人生はそう長くないし、学生でいられる時期なんて更に短いです。

 時間という貴重な資源を大切にしてください。