人生の道

 

 人生には道がたくさんあります。

 

 その道は自分が『なりたい!』と思ったものへとまっすぐと伸びていて、その途中には

 

 道案内の看板
 複雑な分岐点
 陥没、崩落した危険な箇所

 

といった様々なものが点在する、極めて広大な荒野、それが人生。

 

 ある人にとっては、人生山あり谷ありの言葉通り、まっすぐ進んでいたら、とんでもない落とし穴にハマってしまったり。

 ならばと、別の道に進んで、めちゃくちゃ楽しい、幸せな生活を送れるようになった。という人もいるだろうし

 

 またある人にとっては、道が一つしかなかったり、よくて二つ三つしかない、しかもその道のいずれもが、ひどい結末に繋がっているケースもあります。

 

 

 さて、今回はこの、人生の道について語って参りましょう。

 

 

 

道は自分で見つけるもの

 この記事で一貫して伝えたいことは

 

 道というのは、基本的には自分で見つけるもの、もしくは、作るものであるということ

 そして、その道を進むべきか否か、最終的な決断は、必ずあなた自身で下す必要がある

 

 子供でも大人でも、これは変わりません。

 

道を見落としてしまう人々

 

 20を過ぎた大人でも、道をなかなか見つけられない人はたくさんいます。まだ人生経験の少ない学生など、若い人にはなおさらでしょう。

 

 一見、直線にしか見えない道でも、実は脇に曲がる道が隠されていることがあります。

 道を見つける能力が不足していると、この隠された道を見つけることは難しくなります。

 

 例えば、文章が読むことができない子が、読解力を飛躍的に向上させる方法を記した文章を見ても、理解し、吸収することはできません。

 文章を読んで理解する力があれば、読解力を急成長させるという道に進むことができたはずです。

 

 こういった感じで、道を見落としてしまうのです。

 

 救済される道、人生の転機となる道といった、素晴らしい道がそこにあったとしても、通ることができるとは限りません。

 

 道を見つける能力を身につけるのが遅れると、遅れた分だけ、人生の選択肢が狭まってしまう。ということにもなりかねません。

 

 お金持ちになりたい。と願っても、そこへ至る道を見つけられなければ、なれない。

 そこへ至る道は一つではないでしょう。むしろ、膨大に存在します。

 あらゆる道に、その分岐点は潜んでいます。でも、もしその道を一本も見つけられなければ…。そういうことです。

 

 その道を見つける能力が、学校で確実に身に付くのならいいのですが、学力とは関係ない、ある特定の能力が必要になる。そんな道ならどうでしょう。

 

 今まで順風満帆に過ごしてきた人であっても、綺麗に舗装された、広くて、素晴らしい道を何度も見落としてきた可能性は大いにあるのです。

 

『若いうちの苦労は買ってでもせよ』

 

 冒頭で道が限られた人がいる、と例を出しました。

 

 これは何らかの要因により、道を見つける能力が著しく低い人、と言い換えることもできます。

 

 この要因というのは多種多様であり、その人のせいであるとは限りません。

 

 本来であれば、道はたくさん用意されているのに、そのことに気づくことができない。

 その結果、道がこれだけしかない、と勘違いして、可能性を狭めてしまっている。

 

 この状態の恐ろしいところは、このことを自分で認識することができない、ということです。

 道は隠されているため、パッと見、ただの直線にしか見えないからです。

 

 

若いうちの苦労は買ってでもせよ

 この言葉は、とにかく経験を一つでも多く積んで、道を見つける能力、見極める能力を養いなさい。と伝えているのではないかと思います。

 

 

道を見極める能力

 

 道を見極める能力という言葉が出てきましたが、世の中には

 

 借金地獄、ギャンブル中毒、麻薬中毒、詐欺まがいの悪質な契約

 

 などといった、取り返しのつかない道も数多く存在します。

 

 この時に大事になってくる考え方は

 その道を進むどうか、決めるのは他人ではなく、あなた自身ということです。

 

気に食わない奴が気まぐれな助言を言ったとしても、普通は聞く耳を持ちませんし

あまり頼りにならない先生の話は、生徒のみんなも話半分に聞いていたりします。

 

 これと同様、信用してない人から持ちかけられた話に対しては、慎重に判断すべきです。

 

 道を見極める能力は、道を見つける能力以上に大事になってきます。

 奈落に転落してしまわないために、こういった能力を日々磨いていくのが重要です。

 

 

分岐点を増やし、曲がるということ

 

 道を見つける能力を身につければ、必然的に分岐点も増えることになります。

 そして、分岐点で曲がるという行為はまさに、大なり小なり、自分を変えるということです。

 

 まっすぐ進めば、今まで思い描いていた目的地に最短距離で着くのに、曲がるということは、今の 自分を変えたいと願ったから。

 

 もっと言ってしまうと、今までの自分の間違った部分を認識し、否定するという選択ができた。ということです。

 

 部分的でも、自分の考えや価値観を否定するということは、簡単に、気軽にできるものではありません。

 強い覚悟と勇気が必要になります。

 

 もちろん、中には変えられないものも存在します。

 自分の容姿だったり、持病だったり、努力によって克服できない領域も存在するでしょう。

 そういったものも変えなさいと言っている訳ではありません。

 

 変えられることを見極め、実行すること

 変えられないことを受け入れること

 これが大切になってきます。

 

道を見つけてきてくれる存在

 

 道を自分で見つける必要がある。といっても、見つけるのは大変なこと。

 そんな、あなたが困ってる時、道を見つけてきてくれる人がいます。

 

 こういった時も、先程の考え方が重要になってきます。

 その道を進むどうか、それを決めるのはあなた自身ということです。

 

 あなたの身近な人が『こうしたらどうか』と提案してきたとしましょう。

 これは要するに、あなたに対して、変わって欲しいこと。と言い換えることもできます。

 

 やはりこの場合も、最終的にその道を歩くか歩かないか、その分岐点を曲がるか曲がらないかは、あなた自身の問題です。

 

 自分の立場と状況

 相手の立場と状況

 それと、二人に関わる人に与える影響

 

 これらをよく考え、必要に応じて話し合い、最適な答えを導き出さなくてはなりません。

 

 あなたは自分の信念を貫いて、まっすぐ進むのか
 それとも、相手の提案を受け入れ、自分を変えるのか

 

 繰り返しになりますが、これは、あなたが決めることです。

 

ヒトは、他のヒトに新しい道を示すことができる生き物

 

 ヒトは、他のヒトに新しい道を示すことができる生き物です。

 あなたに対して、いい道、悪い道を示してくるヒトが存在する。

 そして、もちろんあなたも、他のヒトに新しい道を教えることができるということです。

 

 

 新しい道を他人に示すということは、その人の人生を変えてしまう可能性があることなので、人によっては、自分が変わることよりも、勇気がいることかもしれません。

 

 そんな時も、自分の経験というものが役立ってきます。

 

 様々な道を歩くことを自ら経験し、ものすごくよかったと思えた道を、他のヒトに紹介する。

 そんなことができたら素敵ですよね。

 

 そういった意味でも、いろんな道を歩く、経験することは、とても大切なことなのです。

 

 

 そして、世の中には、あなたを貶めようとする悪い人も少なからず存在します。

 

・その人自身の利益になることに、あなたを利用している。

・あなたを間違った道に進ませ、成長することを阻害する。抑制する。

・崖っぷちに誘導し、あなたの持っているモノを奪い取ろうと企む。

といったものです。

 

 例を挙げると

友人がネットワークビジネス、俗に言うマルチ勧誘をしてきた
学校は行くだけ無駄だから、行かなくていい。と身内が言ってきた

などといった類のものです。

 

 道を示された時は、よく考え、今の自分にとって最適なのかどうか、しっかり認識してから決定する。

 自分が間違った道に進めないためにも、道を自分で見つける能力、そして、現れた道を見極める能力は、極めて重要です。

 

 

終わりに

 

 長々と書きすぎてしまったので、まとめます。

 

・道は基本的に自分で見つけるもの

 

 道を見つける能力を育むことは、とても大切。

 

・あらわれた道に曲がるかどうか、決めるのは自分自身

 

 道を見極める能力を育むことは、さらに大切。

・ヒトは、他のヒトに新しい道を示すことができる生き物

 

 あなたに、いい道、悪い道を示してくるヒトが存在する。

 そして、あなたも、他のヒトに新しい道を教えることができる。

 

 

 道を見極める能力といっても、この能力は目には見えません。自分で確認することも困難です。

 同時にこれは、ヒトにとって非常に重要な能力であり、どんなヒトでも、日々、無意識に実行していることです。

 

 いろんな経験を積み、こういった能力を伸ばしていくこと。

 子供であっても大人であっても、豊かな人生を送るためには、必要不可欠なことであると、私は確信しています。